プリンの飛行機旅行

昨年我が家が敢行した「柴犬プリン呼び寄せ」にまつわる顛末を皆様にお伝えしたいと思います。生後3ヶ月から一緒に暮らしてきたプリンは私達家族のマレーシア転勤の際に連れていけず(あちらは熱帯性気候かつ犬を忌み嫌うイスラムゆえ)やむなく日本の留守家族と3年の間暮らしていました。
スイスは犬にとって非常に住み易そう、とスイスに来てすぐに呼び寄せを考えていた私はそれから更に2年間悩んだ末(都合5年間の別居後)とうとう決心したわけです。なお「プリンの飛行機旅行」はスイスにいる間に書きましたので、現在の状況とは一致しておりません
私の名前はプリン。ママは私のことをとっても美人なのよ、と宣伝するけれど、本当はそれほどでもないのです。ちょっと他の犬より色白なだけ。鼻筋や目のまわり、それに特に顎の下のむくむくと真っ白な毛が自慢です。初めて私の名前を聞いた人は一様に「エッ柴犬でプリンなんて、ずいぶんイメージが違いますね。カスタードプリンみたいな色だからですか。」とおっしゃいます。本当は「プリンセス」の「プリン」なんですけど。
 
私はこの度ご縁があってここスイスにやって参りました。スイスは犬にとってとてもすみやすいところと聞いてはいましたが、本当にあちこちで立派な、私など足元にも及ばないような犬さん達がとてものびのび暮らしている様子に、なんと素晴らしい国かと、しっぽが自然に右ひだりに動いてしまいます。広い野原や山林、きれいな湖のほとりを好きなだけ駆け回ることが出来るんですから、日本で小さな犬小屋に閉じこめられて暮らすのとは大違いですよね。
パパもママも、二年前ここに住み始めてからずっと私を連れてきたいなあと考えていたんですって。私はそんなことちっとも知らないから、日本にいて時々ふらっと帰ってくるパパやママをただひたすら待ちながら、一番の仲良し、良太君と暮らしていたんです。

 でも良太君は家にいないことが多いし、私の子分の美緒ちゃんは最近大学生とかになって、とても忙しそう。つまらないから玄関に転がっていた良太君と美緒ちゃんの靴をくわえて遊んでいたら、たまたま通りがかったおばあちゃんには靴を並べているように見えたんですって。その話を聞いたママは「プリンがかわいそう」と、私をこっちに呼ぶ決心をしたんだそうです。
 そう言えばだいぶ前からなんか様子がおかしいなあと思っていました。だって良太君がどこからか今まで見たこともないようなモダンな家を持ってきて、それまで住み慣れた家からそっちに移れと私に言うんです。でもなんだか冷たい感じのする家で、ドアも閉まっちゃうようだし、あまり気乗りしなかったんですよね。入ってみたら、けっこう住み心地は良さそうでしたけど。
 そのうちドライブ散歩もこの家に入ったまま連れて行ってくれるようになりました。今まではホンダ・インテグラのエンジンの音がして、「プリン、行くよー」と良太君と美緒ちゃんの声がしたら、ついて行って車の後ろに乗れば広い公園や多摩川の土手に連れて行ってくれたのに、どうして家ごとドライブ散歩なのかちょっと不思議でした。

 いまから思えば私が飛行機の中で不安のあまり発狂しないようにと練習のつもりだったんですね。何しろ私はもう8歳、人間にすると56歳だそうだから、決して若くはありません。飛行機会社や獣医さん、犬に詳しい友人、誰に聞いてもこの年で飛行機の長旅はちょっとリスクが大きいと言われて、パパもママもすごく心配だったそうです。小型犬なら機内に持ち込むこともできるそうですが、私は小さいと言っても体重が10キロもあります。ママはあちこちの航空会社に電話しましたが、どこも貨物扱いになると言われ、道中たった一人、いえ一匹で暗い貨物室に12時間もじっとしているのはどんなに恐ろしいことか、ママは自分の子供のことより心配だったそうです。子供なら言葉で説明すれば安心できるかも知れなけれど、プリンにはそれもできないし…と。

 いよいよ飛行機に乗る日がやってきました。前の日は良太くんと美緒ちゃんの従兄弟や叔父さん叔母さんもやってきて次々にお別れの挨拶をしていきました。成田空港を12時ちょうどに出発するチューリッヒ行き直行便に乗るためには成田に朝8時に着かなければなりません。本来なら前日に来てくれと言われたところを、ママがそんな可哀想なことはできないと最後まで抵抗して、担当の「日通」のお兄さんも同情してくれて、朝一番にしてもらったのです。
その日は良太くんの運転で、美緒ちゃんとおばあちゃんも一緒に成田まで送ってくれました。そこでお別れする前に、私は大好物のチーズをもらいました。チーズをもらうのは大概私の嫌いなお薬を飲まされるときで、目の前のチーズに目が眩んで中に埋め込まれた変な錠剤のことも分からず、おいしさのあまりすぐに飲み込んでしまうのです。この時もきっとお薬が入っていたのでしょう。それから暫くいい気分になってウトウトしていましたから。
私が新しい家だと思っていたケージの扉がばたんと閉まり、私はどこかに運ばれていきました。いつものドライブ散歩とはどうも様子が違うぞ。そう思ってももう後の祭りです。気持ちを落ち着けてあたりの様子をうかがうと、どうやら私は既に飛行機の中らしいではありませんか。機会の音など耳に心地よくない音に対して人一倍じゃない犬一倍敏感な私は耳を覆いたくなるような轟音に、もう気も狂いそうでした。

 暗くてよく見えないけれど周りには人間はおろか、他に仲間もいないようです。ケージの中には大好きなボールがあるし、良太くんやママのにおいのするシャツなんかもあるので、少しは気が休まりましたが、ここから出たくて出たくて手当たり次第に私の丈夫な歯でガリガリやってみました。それも、歯がぐらぐらになるまで。良太くーん、早く私をここから出してよぉ。ちょっと吠えてみましたが誰もやって来そうにありません。
私はこのままどこか遠くへ連れ去られるんだ。大好きなみんなにはもう二度と会えないんだ、そう思うと悲しくて悲しくて、金網を噛み切って逃げ出す元気もありませんでした。

 真っ暗な飛行機の中で私は考えました。なるようにしかならない。さしあたって私の大嫌いな注射が待っているわけでもなさそうだし、じっと時が過ぎるのを待つしかない。そう考えたら少し落ちつきましたが、昨日までこの生活がずっと続くと信じていた、東京の暮らしの一こま一こまが目に浮かんできます。パパやママ、家族みんなでたこ揚げに行った多摩川べり、大雪の日、狂ったように遊び回ったお庭。のんきに散歩して藪に鼻先をつっこんだら、奥に潜んでいた猫にあやうく引っ掻かれそうになったことや、夏の炎天下、毛皮を着た私は散歩の途中でぐったり、もうこれ以上歩けない私をママは自転車のかごに乗せて家まで帰ったこともありました。 また、私が生後3ヶ月までお世話になったペットやさんのおじさんとおばさんはどうしているだろう、散歩の途中で通りかかると、まるでわが子が帰ってきたみたいに喜んでくれたっけ。散歩といえば、あのハンサムな警察犬の彼氏はどうしているだろう、かれはいつも鉄格子の向こう側だったけど、私の姿を認めるとくーんくーんと鼻を鳴らして近寄ってきたのよね。彼はいつだって紳士だった…
ああ、何もかも皆過ぎ去ってしまったんだ。そう思うと悲しくて。私にはもう夢も希望もないんだ。半ばあきらめの気持で静かにしていると、飛行機はどこかの空港に着いたらしく、私の目の前がぱっと明るくなり、外へ運ばれていきました。

これからどこへ連れて行かれるんだろう。まあいいわ、どこへでもこの私を連れていって下さい。私は独りで強く生きていきますから、そう思っていました。そのときどこからか聞き覚えのある声で、「プリン!プリン!」と呼ばれたような気がしました。気のせいだろうと思っていたら、もう一度「プリン、ママですよ!」今度は間違いようもありません。ケージの柵の間から差し出された手はまさしくママの手。キャッ、ウレシイヨオ、と柄にもなく甘ったれた声を発してしまいました。それからすぐにケージから出してもらい、スイスの土を踏んだのでした。

私がこんなに元気な状態で到着するとは、ママは想像していなかったらしく、ほっと一安心。「良かった、良かった」と独り言のようにつぶやいています。というのも、私をこちらに呼ぶ前にいろいろな人に相談したときには「犬によっては、ショックがあまりに大きく、衰弱して死んでしまうこともある。」と聞かされていたのだそうです。ママの友達、Mさんが一緒に空港まで向かえに行ってくれて車も運転してくれましたが、そのMさんからも「私だったら犬のためを考えて、飛行機には乗せないだろう」と言われたそうです。
相談したスイスの友人のほとんどが、犬にも依るだろうけどと言う断り付きで同じ意見だというのですから、ママはさぞかし心配したことでしょう。スイスというのは「そこまで私達のことを大切に考えてくれる人たちの国なんだ」と思いました。

飛行機を降りて、懐かしいママと一緒に今度は車のバックシートに載せられて、スイスのアウトバーンをひた走り。着いたところは日本の家とはずいぶん違った感じがしました。第一日本ではいつも私一人「犬小屋」という小さな赤い屋根の家に住んでいて、良太くんや美緒ちゃんの様子を窓越しに顔をくっつけて見ているだけで、決して仲間に入れてもらえなかったのに、ここではパパやママと一緒に大きな家で暮らすのです。テラスからは、羊がやって来るという草地とその下に何軒か家がみえ、気むずかしそうな仲間が誰か通り過ぎる度にキャンキャン吠えています。草の香りと鳥の声が私を安らかな気持にしてくれます。なんだかとても幸せな気分になりました。

ママが用意してくれた私の新しいベッドは、籐で編んだバスケット。柔らかい毛布が敷いてあります。飛行場から乗った車にもこのベッドがおいてあり、私はすぐに気に入りました。日本に残っている友達の中で、こんなにすてきなベッドを持っている仲間はいないだろうなあ、そう思うとちょっと得意でした。

翌朝、階下にすむアダムスさんの奥さんが私に会いたいと言っておみやげのスナックを持ってやってきました。そのとき私はちょうどテラスにいました。テラスの塀が低くてひょいと飛び越えたらどこへでも行けそうです。ママは私の考えていることが分かったのか、塀の柵を高くするまでは私を鎖につないでおくことにしました。何しろ、日本にいた頃の私は逃走癖とでも呼ぶんでしょうか、外の自由な世界にあこがれて何度となく柵の間をすり抜けて庭から脱走し、そのたびに家族のみんなを大いに困らせたことがあったのです。そりゃ誰だってだめと言われたら却ってやってみたくなるものですよね。ママが油断している隙に素早く逃げるのはお手の物でした。と言うわけで、アダムスさんが来たとき私は鎖に繋がれていました。それを見たアダムスさんは、まあ、なんということを、鎖なんかに繋がれて可哀想に…とびっくり。どうもこの国では犬を四六時中鎖に繋いでおくことはまかりならん、ということのようです。
 

散歩に行ってびっくりしたのは、どの犬も鎖なしで自由に歩いているではありませんか。私のことが珍しいのか、自由に動き回っている犬たちはいちいち私のそばに寄って来て、くんくん鼻をすり寄せます。これがスイス式の挨拶なんでしょうか。日本ではお互い飼い主も一緒に挨拶してさっと別れるだけだったので、私は他の犬が近寄ってくる度に緊張して、どんな挨拶を返したらよいか分からず、ついウウーッワン!と偉そうな態度を取ってしまいます。相手が大きくても、ものすごく強そうでも、私の空威張りは結構威力があって、たいていは私のそばから離れてくれます。時には「なんだ、ちびのくせに生意気な」と噛みつかれそうになったこともありますが。
時々通りすがりの人が「なぜ鎖を外してやらないのですか」とか「鎖を外したらこの犬はどこか遠くへ行ってしまうのですか」とか「鎖を外して自由にしてやりたいと思いませんか」などとママに訊いていたみたいです。ママはこの土地の言葉をあまり話せないので、答えに窮している様子でした。

その散歩ですが、こんなに散歩が楽しいなんて日本にいたときには全く知りませんでした。日本では若かったときはずいぶん遠くまで行きましたが、最近はどこへ行ってもあまり面白くないので、良太くんや美緒ちゃんが散歩に行こうと誘ってくれても気乗りしませんでした。渋々重い腰を上げてのそのそと二人についていくのです。取りあえずトイレだけ済ませないことにはね。私はこう見えてもきれい好きだから、決して自分の住まいの周りではトイレをしません。

「さしあたってトイレのため」だった日本での散歩。スイスに来てからは草のにおいやトカゲとかミミズの気配に惹かれてどこまでもどこまでも歩いて行きたくなります。家の裏山は私の大好きな散歩コース。雑木林の中に入ると柔らかなクッションのような地面、足下の枯れ葉がかさかさと乾いた音を立てます。森閑と静まり返った森に小川のせせらぎが真夏の暑い盛りさえもひんやりとした空気を漂わせています。
遠くの方で教会の鐘の音が聞こえ、その教会の尖塔越しに遙か向こうにベルナー・オーバーランドの気高い山々が真っ白く輝いて見えます。

散歩コースは他にもいくつもあります。時にはトゥーンの旧市街まで行き、石畳の上をゆっくり歩いたり、アーレ川の白鳥が私を見て寄ってくるのを横目に、川底までくっきり見えるほど澄んだ川の流れを追いかけたり、バスに乗ることもあるし、車で遠出して誰もいない牧草地を越えて丘の上まで登ることもあります。まるで「サウンド・オブ・ミュージック」の世界だわ!とママはご満悦。

たいていの散歩コースにはRobidogと呼ばれる緑色のゴミ箱みたいな四角い箱が設置されています。犬用のゴミ箱です。両側に茶色のポリ袋取り出し口があり、犬の飼い主はこの袋に犬の落とし物を拾って捨てます。定期的にこの袋を補充したり、ゴミ回収したり、結構人手が必要です。このための費用は毎年市役所に納める人頭税ならぬ犬税で賄われていると聞きました。
 

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屋外の犬小屋の暮らしから一転、カーペットの上の暮らしになって半年が過ぎようとしています。私はもうすぐ9歳、この美しいスイスで家族や優しい友達みんなと一緒に余生を送ることになると思っていました。

若い頃は、番犬としての役目を大いに果たした上に、それだけではもの足りず、いたずらはするし、元気が有り余って夜中だろうと気にせずわんわん吠えたこともありました。でも今では静かなものです。時々知らない人が訪ねて来たときだけ吠えますが。うるさくしてご近所から苦情が出たら大変と、パパやママはちょっと心配だったらしいけれど、見事に変身して「すっかりスイスの犬らしくなったわね。」と誉められると私もまんざらではありません。
ママと買い物に行くときは車の後ろに乗ってついて行き、たいていのお店は犬連れでもオーケーなので買い物も一緒です。スーパーマーケットだけは私は入れないので、車の中でじっとママの帰りを待っています。中には待たされている間ひっきりなしにキャンキャン騒ぎ立てる仲間もいますが、そんな騒々しい仲間を後目に、私は日本犬の誇りとばかり、静かに堂々と待っています。本当は心細くて泣きたいくらいなんですけど。
  レストランだって、テーブルの下でおとなしくじっと待つことを覚えました。テーブルの上から何とも言えないおいしそうな匂いがして、思わず「食べたいよう、ワン」と言いたくなるけれど、「スイスの犬」にならなくちゃいけない、そう思って我慢してきました。それもみな私にとってここが永住の地だと考えたからです。

ところが、最近になってパパとママがなにやら重大な話をしているらしいことに気づきました。毎晩のように夕食の後二人で私のことを話しています。私は会話の中に「プリン」という言葉が聞こえてくるたびに全身を耳にして聞いていました。普段ならママの椅子の脇にお座りして、今日一日のご褒美に何かおいしい残り物にありつけないかなと、じっと待っています。ところが、話の様子がどうもいつもと違うので、私はとても不安になりました。そういうときは自慢のくるっと上を向いたしっぽが自然と垂れ下がってしまい、とても情けない格好です。そして分かったことは、どうやら私は日本に帰ることになりそうだと言うことでした。

あんな大変な思いをしてやっと辿り着いたスイスなのに、いくら散歩していても全然飽きないくらい気に入っていた場所なのに、またあの恐ろしい飛行機に何時間も乗って、その上動物検疫という非情な制度のために二週間も家族と会えないなんて。
時々独りで二,三時間留守番したことはありますが、たった数時間でも心細くて家族の帰りが待ち遠しいのに、知らない仲間たちと見知らぬ場所で何日も暮らさなければならないのです。(続く)