クロは1995年4月20日、モモは翌日21日の春分の日にそれぞれ生まれました。モモとクロの母親達は姉妹で、二匹で合わせて10匹の仔猫を生みました。私は生まれて間もない頃に貰い受ける仔猫を選びに行き、三毛縞のモモとシャム縞のクロを選びました。我が家に来る日まで週に一回は面会に行きました。
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我が家に来てからも、いとこ同士の二匹はとっても仲良くていつも一緒でした。
モモとクロの名前の由来は足の裏です。プックリした桃の花のような愛らしいピンクの足裏を見て付けたのがモモ、コーヒーの豆を思わせるくりくりした足裏をしていたのはクロ、猫の足裏ってどうしてこんなに可愛らしいのでしょう? |
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モモはやんちゃで、活発なネコ、いつもなにかにじゃれ付いてゆきました。そしてひとなつっこくて恐いものなし、
でも寂しがりやで、寝る時はいつもクロにしがみついて寝ていました。 |
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クロは小さい時から静かで、恐がりで、孤独を好むネコでした。でもモモを拒むことは決してしませんでした。
遊ぶのもじゃれるのもモモに誘われるままにお付き合いという感じでした。モモにしがみつかれて寝ている時も平たくなってされるままでした。優しい猫だったのですネ。 |
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私達の住まいは地上3階です。ネコにとってはそとへ出るのが楽ではありません。其処で以前見た事があった籠のリフトを試してみることにしました。
二匹揃って籠に入ってロープで下の芝生までおろしてやりますと、なんと1回で要領を呑み込んでくれました。こうして外ヘ出たり入ったり、帰りのリフトは下ろす時に鈴を鳴らします。すると生垣の陰から、顔を覗かせて、リフトに飛び込んできました。大きくなってからは遠くとうもろこし畑の向こうから一目散に走ってきます。 |
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さて、モモとクロはスクスクと育ち、寝床にしていた籠が小さくなって来ました。
モモとクロが来た年の暮れ、モモが懐妊しました。しばらく前から発情していたのでそとへは出さないように気を付けて、三毛縞やシャム縞ジュニアを楽しみにしていました。 |
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ちょっとこれ、見て下さい、ぽんぽこたぬちゃんのモモの姿、美しいですねえ。光り輝いています。 | |
さて、モモの出産日が近づいてくると、家中を仔猫を安心して産める場所を探してウロウロ始めました。クロもなんとなく心配顔で後に従います。
二匹で入りこんで決めた場所、それは長男たくまの部屋の洋服ダンスの一番下の棚の一角でした。引き戸のタンスですから端をちょっと開けておいてやればオーケーです。早速其処にボロ布などを幾重にも敷いてモモのお部屋を作ってやりました。3月も末に入ったころでした。 |
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その少し前から、実はクロの様子がおかしいことに気が付きました。たかがイスの上にさえもジャンプ出来ないのです。毛並みが荒れてきました。抱いてやると下ろすまで自力で飛び降りる勇気が出ないようでした。
外へも余り行きたがらず、窓の前に飛び乗れず、其の下で持ち、上げて貰うのを待っていることが多くなりました。窓辺に座ると今度はやはり下りられず、私達の誰かが下ろしてくれるのを大人しく待っているのでした。クロはめったに声を出して鳴きませんでした。目が遭うと口を開けて無言で鳴きました。
御医者さんに連れてゆきました。心配していた虫ではなく、ウィルス性の急性腹膜炎という診断が下されました。この病気はお薬が効かないのだそうです。後3―4週間持てば良い方だといわれ、目の前が真っ暗になる思いでした。クロは生まれつき線の細い猫でした。臆病で、動きもほかの猫に比べるといつも一歩遅れを取る、と言う風でした。いつも静かにもの思いに沈んでいるようなクロの姿は全てを悟った禅僧のような風貌がありました。運動神経はたしかにモモとは比べ物になりませんでしたが、そばにいてくれるだけで心が落ち着いてくる、その存在だけで私達を慰めてくれたものです。病気になったクロは今まで以上に静かに、もの思いに沈むようになりました。
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ある日、出先からお昼に私が戻ると、クロが廊下に出て待っていました。声を出さずに口だけ開けてご挨拶、モモが見当たりません。クロは廊下のその位置から動かずにたくまの部屋を見ているのでした。
その時「ミュ?…」と聞こえたような気がしました。アッと思って入り口わきのたくまの部屋を覗くと、10センチほど開けたタンスの引き戸の奥にモモが丸くなっています。 4月1日、エイプリルフールの午前中、家中出払って誰も居ない隙に、なんとモモは誰の助けも借りずにちゃっかり五匹の仔猫のママになっていました。 |
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不思議ですネ、三毛縞のママとシャム縞のパパの間に生まれた仔猫達は一匹ずつそれぞれ違う模様なのでした。その中でたった一匹だけ、ママに良く似た三毛縞ちゃんがいました。これがリトルモモ、でも、クロに似たシャム縞くんはいませんでした。その代わり、秋の陽に輝く垂れ穂のようなお日様色をしたアカトラ君がいました。ティーガリ君です。暗い色がゴチャゴチャと集まったような毛色でおでこに三日月を乗せたオチビちゃんはルナ、ちょっと茶色っぽい細かい縞模様のあどけないオチビちゃんは後に貰ってくれたお友達が初めて見に来た時に命名した、ノエル。そして、ハッキリした縞模様の口の周りが白いオチビちゃんがリップスティック。そうです。我が家に残ったリップちゃんです。
なぜリップスティックかといいますと、この子の口の周りは白いのですが、なぜか唇だけ紅を引いたように暗い赤で縁取られていたからです。 この日からクロは毎日廊下に出てモモと仔猫達を遠目に見守るのが日課になりました。クロの病気はめったに移らないと言われつつもウィルス性で他の猫に感染しないとは限らないとお医者さまは言われました。「多分大丈夫だと思いますけれど。」私はこの言葉しか聞いていませんでした。心配なんかしたらそれこそ本当に感染するかもしれない。しなければ大丈夫。そう自分に言い聞かせて感染に付いては忘れていました。 ところが不思議なもので、クロは決してモモと仔猫の居る部屋に入ろうとしませんでした。いつも廊下から部屋の中のタンスの引き戸の隙間をはすに眺めるだけでした。 実は、お医者さまはクロを安楽死させてやった方が良いというご意見でした。「病気の猫は苦しむだけです」と。
仔猫達はモモのおっぱいをいっぱい飲んで、じきにフカフカなボンボンのようになり、活発になりました。モモとクロの誕生日の頃にはタンスの外をヨチヨチ歩き回るまでになりました。 春休みが来ました。ラルフと子供達は前から予定していた旅行に出ました。私は猫達を見る為に残りました。
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やがて立ちあがると、クロは満足したように部屋から出て来ました。
その日からクロはほとんど寝たきりになりました。立つのは尿意を催す時だけでした。トイレに行ってもむなしく砂を掻くだけで、尿はすでにでませんでした。その時が多分クロにとって一番苦しかったろうと思います。声を出さないクロが、私に苦しみを訴えるかのようにか細い声で「アン、アン」と鳴く時がありました。 家族が戻る二日前にクロは私の膝の上で息をを引き取りました。最期はほとんど意識も無く、其の為恐らくは苦しみも無かったと思います。苦しい時を乗り越えたやすらかなものがありました。 満1歳になって間もなくでした。
スイスでは動物が死ぬと、屍骸処理場に託されますが、猫以下の小動物は個人で埋葬しても良い事になっています。
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